恐怖の帝王切開【妊娠24週0日目】
忙しくて暫く書いていませんでしたが、書き続けます。
気長にお待ち頂ければと思いますm(_ _)m
2018年4月16日(月)
朝早くから検査の連続。
昨日に比べればマシになったけど、まだ鳩尾辺りが苦しい。
なんか嫌な予感はしていたけど、午前8時45分頃、看護婦さんが来て「今から旦那さん来れる?先生がお話しがあるみたいで」と言われた。
「はい・・・」
はぁ・・・大体こう言われるって事は、良くわかんないけど、もう駄目なんだろうな・・・。
すぐに連絡すると、15分も経たない内に旦那がやってきた。
多分、自転車を飛ばして来たんだろう、前髪が上がっていた。
念のため、会社からの配慮で休みをもらっていたらしく、自宅にいたみたいだった。
旦那が来てすぐに女性の先生がやってくる。
先生「今朝の検査の結果で、これ以上引き延ばすと母体が持ちません。これ以上妊娠を続けていると最悪、他の病気になったり、赤ちゃんが亡くなる場合もあるので、すぐに帝王切開で取り上げたいと考えています。」
旦那「これからですか?」
先生「はい、今から準備して、11時くらいになると思います」
そう言われた瞬間、思い切り涙が出た。
兎に角不安でいっぱい。
何が起こるのかも分かってなくて、赤ちゃんはどうなるのか、私の身体はどうなるのか、帝王切開自体、良く分かってないし・・・ただお腹を切る事は分かるけど・・・。
そもそもあと2時間も無いのに、心の準備も出来ていない。
何だか事だけが先に進んで、心が追い付かない状態。
だからと言って、やらないと言う選択肢はない。
先生「・・・辛いけど、限界まで引き延ばしたから、頑張りましょう」
「はい・・・」
それからと言うもの、部屋に機材が運ばれ、看護婦さんたちは忙しそうに準備を始めだした。
旦那は一旦、待合室で待ってもらっていたけど、ずっとソワソワしていて、立ったり座ったりしてたみたいだ。(看護婦さん談)
2時間弱あった時間があっという間に過ぎていき、先生が戻ってきて「〇〇さん、じゃあ行きましょうか」と声をかけられた。
旦那はずっとソワソワしながら、「大丈夫だから!待ってるからな!」と、私にお守りを握らせてくれた。
あなたの顔の方が不安そうに見えるけど・・・とか思いながらも、私も内心はドキドキした状態。
ベッドに寝たまま運ばれ、エレベーターに乗った。
そこからは旦那とはさようなら。
手術室に入ると、良くドラマとかで見るような光景が広がった。
いくつくっ付いてるか分からない丸いライトを見て、緊張感が走る。
ピッピッピッピ・・・と高速で鳴り響く電子音が怖い。
何より手術室にいる人の多さ。
何人いるんだよ!ってくらい、手術着を着た人がいて、正直、そんな大手術なのか?!とびびってしまった。
ドラマで見たときは精々5~6人だったけど、やっぱ実際は違うんだね・・・(笑)
すぐに麻酔を入れられる。
局部麻酔だったけど、首から下は全部感覚がなかった。
先生「〇〇さん、これから◎$♪×△¥○&?#$!を始めます」
全員「お願いします!」
兎に角こわい。
私からも、お願いしますって言いたいところだけど、怖いから大きな声出さないで!って言いたかった。
するとすぐに私のお腹に違和感を感じた。
あっ・・・切られてる・・・
うわ・・・引っ張られてる・・・!
そ・・・そんな乱暴なっ・・・!!
勿論、痛みとかはないけど、感覚だけは伝わってきた。
お腹の中に手を突っ込まれているような・・・。
そうこうしている内に、私の手を握ってくれていた看護婦さんが、「もうすぐ赤ちゃん出てくるからね」と言ってきた。
え、そういえば、赤ちゃんってどうなるんだ・・・?
全くと言って良いほどの無知で、保育器に入るって事は聞いたけど、あとは良くわかっていない。
先生「午前11時16分、男の子です。」
全員「おめでとうございます」
え、えっ・・・?産まれた・・・?おめでとうございます?
あ、おめでとう、なのか・・・?
何事にも疑問だらけ。
質問も出来ぬまま、赤ちゃんは保育器に入れられた。
看護婦さん「見える?赤ちゃんいるよ」
そういわれて左側を見ると、少し高い位置に赤黒い丸い頭のようなものが見えた。
もっと良く見たかったけど、良いから早くその子を助けて!って気持ちが強くて、見えてもいないのにうんうんと頷いた。
その一瞬だけで、赤ちゃんは何処かへ連れていかれる。
私は少しだけホッとして、目を瞑った。
手術は1時間程だったのだろうか、あまり良く覚えていないけど、気が付くとベッドに寝た状態でエレベーターに乗っていた。
あ、終わったんだ・・・。
部屋に戻る途中、旦那がやってきて「良く頑張ったね」と言ってくれた。
何故か物凄い憔悴している旦那。
何故だ・・・私の方が大変だったのに・・・(笑)
その後は絶対安静で過ごす事となった。
夕方に私の母と弟がやって来て、私の状態を見て唖然としていた。
疲れもあったせいか、あまり記憶がないけど、病室で私に関係のない無駄話しをしていたのは覚えている。
旦那「とりあえず、また明日も来るから。ゆっくり休んでね」
三人が帰った後、すぐに私は眠りに落ち、次の日の朝まで起きる事はなかった。
出産の予感【妊娠23週6日目】
2018年4月15日(日)
午前中から、旦那と母が一緒に来てくれました。
特に何かするわけでもないけど、お昼を一緒に食べて、15時頃、二人とも帰宅。
その後、木曜日からお風呂に入れていなかった為、看護婦さんが身体を拭いてくれました。
気持ち悪いくらい髪はベトベト、身体は寝臭いし、酷い状態。
トイレ以外、動く事を禁じられていたため、汗をかくことは無かったが、こうもお風呂に入れていないと、人に会う事すら嫌だった。
旦那に持ってきてもらったタオルをお湯で濡らし、背中を拭いてもらった。
石鹸の香りのするタオル。
私「これ、石鹸つけてるんですか?」
看護婦さん「つけてないですよ~。多分〇〇さん家の柔軟剤の匂いですよ」
あれ、うちの柔軟剤ってこんな良い匂いするのか?
とっても良い匂いだったので、身体の至るところを思いっきり拭いてやった。
頭までゴシゴシと拭いたけど、べたべたした状態は改善されなかった。
"まぁこれも赤ちゃんのため”と諦め、身体を拭けた事に感謝した。
16時頃、弟がお見舞いにやってくる。
弟「よぉ。大丈夫?」
1時間程だったか、私は普段、旦那にも言えないような母の愚痴を弟にぶちまけていた。
一緒に暮らし始めて1年が経ち、何となく、旦那はうちの母に対して嫌悪感を持っているように感じていた。
私の母は、すぐに感情的になるし、自分の意見を曲げないし、正当化させるし、酒が入ると拗ねるし愚痴も多い。
私がクッション材になっていたから、何とか3人で暮らして来たけど、今入院している状態で、二人きりにさせるのは本当に怖かった。
旦那が母の事を嫌いになるんじゃないかと言う恐れ。
「お義母さんと一緒に暮らすのはもう嫌だ」と言われるんじゃないかと思うと、本当に辛い。
確かに私も自分の母には手を焼いている。
あー言えばこー言うの人だから、何かと妥協してきたものだった。
でも、母は娘(私)を頼りにして一緒に暮らしているわけだし、母を捨てるわけにもいかない。
弟に色々と愚痴を言うと、スッキリした。
何か改善されるわけじゃないけど・・・。
18時頃、弟が帰って行くと、すぐに先生が来て「肝機能が低下している」と言われました。
自分では、あまり感じられない不調。
本当に私の身体は悪くなっているのか・・・?
あまりにも実感が無かったため、先生を疑う程でした。
先生「土日はNICUの方も受け入れを嫌がるので・・・云々」
ん?35週までもたないって言ってたけど・・・何を言ってるんだ・・・?
と、先生の言っている意味があまり理解出来ず。
難しい顔をした先生の雰囲気で、"もしかしたら来週にも帝王切開するって事・・・?"と悟った私。
弟が来た頃から、鳩尾(みぞおち)あたりに違和感があって、先生の話しが終わって、考えすぎていた所為か、更に鳩尾が苦しくなってきていた。
スマホで肝臓の位置を調べると、まさに鳩尾の位置。
「まさかこの苦しいのって・・・」
本当に死ぬんじゃないかと思って焦り始める。
ナースコールで看護婦さんに伝えると「深呼吸してみようか」と言われるが、ドキドキしていたのもあって、あまり落ち着く事が出来なかった。
ベッドの上半身の部分を斜めにしていたが、段々と苦しくなってきたので、高さを下げると少し楽になった。
徐々に苦しくなるにつれて、ベッドの高さを下げる。
もう考えないようにしよう・・・。
そう思って目を閉じると、一気に深い眠りについたのだった。
私、死にそうなの・・・?【妊娠23週5日目】
2018年4月14日(土)
昨日緊急入院した私は、食事も出来ず、カーテンの閉め切った薄暗い部屋で、朝からボーっとしていた。
血液、血糖値、定期的な血圧の測定、赤ちゃんの心音、心拍、お小水、酸素濃度、などの検査が、数時間毎にあり、暇ではあったが、やることも多かった。
看護婦さん「これからステロイドって言う、赤ちゃんの成長を促すための注射を打ちます。今日と明日の二回ね。筋肉注射だから結構痛いかも・・・。お尻か肩なんだけど、どっちがいい?」
私「肩でお願いします」
お尻よりも肩の方が痛くないに決まってる!
そう思って肩に注射を打ってもらったが、思ってた以上に痛い。
グッと薬を入れられる瞬間が物凄く痛かった。
でもこれも赤ちゃんの為だと思うと、何本でも打ってほしいと思えた。
お昼前くらいから旦那が荷物を持って来てくれた。
ずっと話し相手にはなってくれていたけど、旦那も話しの内容が尽きてきたのか、疲れてきたのか、夕方くらいには少し無口になっていた気がした。
この日も母は仕事だった為に、夕方から来てくれていたけど、まぁやることもないし、1時間程いて、すぐに旦那と帰ってしまった。
二人が帰った後、先生が来て「〇〇さん、心不全を起こしてるので・・・」と告げられる。
心不全って死に繋がる病気じゃないか?!と思う私。
その瞬間、一気に血の気が引くような感覚になった。
え・・・?私・・・死にそうなの・・・?
この時、初めて自分の身に危機感を感じた。
気分が下がり、旦那にそのことをLINEで伝える。
「スマホの光りは刺激になるから弄っちゃダメ」と看護婦さんに言われていたが、夜中、妊娠中毒症について調べるが、調べれば調べる程、不安になる一方だった。
緊急入院【妊娠23週4日目】
2018年4月13日(金)
朝、いつものように起きて、朝食の支度をする。
引っ越しから数日経っているにも関わらず、私の身体は重く、足も浮腫んでいた。
旦那と母も一緒に食事をとっている時、「最近胎動が感じないんだよね・・・全く感じないってわけじゃないんだけど、小さいような・・・」と母に呟くと、「すぐに病院に電話しなさい」と強く言われた。
8時15分頃、病院に電話をすると、「心配なのですぐに来れますか?」と言われた。
げっ、昨日疲れててお風呂入ってないや・・・。そう思いながらも、又も木内さんが、車で送ってくれる事になった。(ほぼ強制的にだけど・・・)
9時過ぎくらいだっただろうか、予約も入れてないのに申し訳ないと思いながらも、病院に着くとすぐに検査が始まった。
エコーで見ていると、先生が「大丈夫、赤ちゃんは元気だよ」との事。
何を言われるのか凄く不安だったけど、”赤ちゃんは元気”と言う言葉に、心からホッとしたのだった。
多分、最近忙しくて疲れていた所為か、お腹の事もあまり気にしてられず、ふとした瞬間、ちょっと気になっただけで、神経質になってしまったんだと思った。
一安心して、「良かった、家に帰れる」って思ったのもつかの間。
「ちょっと隣の診察室に来てね」と先生に言われて行くと、思いもよらぬ事を告げられたのだった。
先生「検査の結果ね、尿タンパクがプラス3になっているんですよね」
私「はい」
ん・・・?つまり、どういう事?
先生「尿タンパクがプラス3は結構な数値で・・・これは妊娠糖尿病です」
(゜∇゜ ;)え?
先生「妊娠高血圧症候群と妊娠糖尿病、所謂、妊娠中毒症です。赤ちゃんは元気だけど、母体の方が危険ということになります」
一体どういう事か分からなかった。
月曜日で妊娠7ヶ月目に入る。
あと3ヶ月もすれば産まれてくるのに、母体の方が危険・・・?
なんというか・・・私は至って元気ですよ、と言いたいところだけど、言われてみれば、引っ越しの日から、水下痢だったし、浮腫みは酷いし、疲れやすいし、一日中寝てるし・・・。
それでも私が病気だなんて信じられなかった。
体力だって人一倍あると思う。
マラソンだってやってたし、体力的なタフさなら旦那にも負けない自信はある。
先生「この病気を治すには、早く妊娠を終わらす事です」
私「え・・・?」
早く終わらすってどういう事・・・と、先生が何を言っているのかわからなかった。
とにかく呆然としている私に、先生は淡々と説明し始めた。
先生「早いうちに赤ちゃんを帝王切開で産む事になります」
私「赤ちゃんはどうなるんですか?!」
先生「今の医学なら、24週の赤ちゃんは生きていけますよ」
その言葉に多少の不安を感じつつも、"生きていける"と言う言葉にほっとしていた。
でもかなりの小ささじゃないだろうか、障害が残るんじゃないだろうか、・・・とまた一気に色々な不安が頭を過った。
先生「兎に角、一日でもお腹の中で育ててあげる事が出来れば、赤ちゃんにとってベストです。だからママと赤ちゃんが、ギリギリ耐えられるところまで待って、早産となります。多分、35週までは耐えられないと思います。それまでは入院と言うことになりますよ」
私「はい・・・」
大体妊娠って40週くらいまで、ママのお腹の中にいるのが普通。
でも私の場合、まだ23週。
半分くらいしかいないのに、もう出てきたら・・・。
せめて30週くらいまでは耐えてくれ!私の身体!!
先生の"35週までは耐えられない"と言う言葉に、意外とまだ時間はあると思い、落ち着く事が出来た。
先生「じゃあ外で待っててね」
話が終わり、廊下の長椅子に座って待っていると、看護婦さんが来て「これから点滴をするからこっちに来てくれる?」と何故か分娩室に連れていかれて、そこで寝かされた。
大きな部屋の中で、真ん中に分娩台がポツンとある。
そこに寝ると、何人かの看護婦さんがやってきて、何やら機械をセットし始める。
一体何をするのやら・・・。
看護婦さん「これから痙攣予防のための薬を入れるんだけど、ちょっと針の所が痛くなったり、顔が熱くなったりするけど、我慢してね」
私「あ、はい」
多少の痛みくらい我慢できるし、点滴ぐらい大したことないだろう。
看護婦さん「ちょっと離れるけど、もし何かあったらナースコールで呼んでね」
ナースコールを手渡され、その場を後にする看護婦さん。
10時半頃、点滴開始。
旦那にLINEで、病院に来てもらうように連絡をする。
暫くすると顔が火照ってきた。
なんだこれ、結構熱いぞ・・・。
そう思っていると、今度は左腕に激しい痛みがジンジンと襲ってくる。
血管痛ってやつだ。
無意識に呼吸が荒くなり、元々高かった150/95程の血圧が180/110に上がっていた。
これじゃあマラソンやってる時と同じくらいじゃないか。
もう嫌だ、本当、痛い・・・
左の肩からもげそうな程、左腕全体が痛く、感覚さえなくなってきた。
身体をもぞもぞさせながら、痛みに耐える。
旦那からLINEで「13時に会社を出る」と連絡が来たときには「何を悠長な事を言ってるんだ!」と怒り出しそうな気分だった。
まぁ、旦那が来たところで、この痛みは治まらないんだけどね。
正直、こういう時は痛がってる姿を見せて心配されるのも嫌だし、一人で耐えていたいってのが本音。
人間ってのは自分がピンチな時は何かに当たりたくなる生き物なのさε- (´ー`*) フッ
点滴を始めてから1時間以上経ち、痛みが一向に治まらない。
「早く終わってくれ・・・」それだけが今の願い。
すると看護婦さんが様子を見にやってくる。
看護婦さん「あらやだ!血圧が・・・」
私「ハァハァ・・・こんなに痛いものなんですか・・・?」
深呼吸を促されるが、したところで、血圧は160/100くらいまでしか下がらなかった。
看護婦さん「もうちょっとだから頑張って!」
私「ハイィ・・・」
多分声は引きつっていた。
何度も深呼吸するが、左腕の痛みは絶好調。
感覚がないから、もう"痛い"と考えるのをやめた。
12時半頃、看護婦さんがやってきて「薬変えるからね。多分大分落ち着くと思うわ」と言うと、点滴を変えはじめる。
結局2時間耐え続けていた。
頑張ったよ、私の左腕。
やっとこの痛みから解放される・・・と思うや否や、またも左腕に激痛が走る。
なんだよ!結局痛いんかい!!
流石に疲れて身体がぐったりしてくる。
今度の点滴は、痛みが出たり治まったりする感じ。痛みの強さは最初よりは弱い気がするが、それでも痛い時は強烈な痛さだ。
もうそろそろ旦那が会社を出るだろうと思い、必死に痛みに耐えていた。
暇だからスマホでゲームでも・・・と、思えないほどの痛み。
ああ・・・一体どうなってしまうんだろう・・・。
14時過ぎ、旦那が病院にやってきた。
看護婦さん「〇〇さん、旦那さん見えましたよー」
旦那「〇〇ちゃん?!大丈夫?!」
私「ああ・・・慎くん・・・」
後から聞けば、旦那から見た私は、とてもぐったりしていて、一目見て死ぬんじゃないだろうかと思ったらしい。
そりゃ3時間半もこの痛みと戦ってるんだから、ぐったりもしますよ・・・。
旦那が来てから何人かのお医者さんが来て、私の様態と、今後の手術の説明を始めた。
私は痛みと疲れで、あまり良く聞けれなかったから、正直覚えていない。
結局、点滴が終わったのは午後4時頃。
トイレに行きたいと申し出て、歩いて隣のトイレまで行ったが、帰りは気持ち悪さに襲われ、倒れそうになり、車いすで帰ってきた。
隣の部屋なのに、私どうしちゃったんだろう・・・。
車いすで帰ると、旦那が驚いた顔で「大丈夫?!」と声をかけてきた。
私「なんか、転んじゃった」
不安そうにしている旦那に、申し訳なく「大丈夫だよ」と言うが、旦那の顔を見る限り、多分私の顔は大丈夫じゃなかったんだろう。
その日はそのまま入院となり、集中治療室に入れられることになった。
カーテンは閉じられ、光が入らないようになっており、電気も殆どつけず、私は寝たきり状態。
ベッドの周りには機械を3つ付けられ、完全隔離状態だった。
そんな酷い状態なのかなぁ・・・?と、正直この時もまだ疑いは晴れなかった。
なんで私が・・・?と言う精神状態だったんだろう。
病気と言う自覚症状もなかったせいもある。
いきなり点滴打たれて、痛い思いして・・・、もう治ったんじゃない?くらいな気分だ。
17時頃、母も仕事の帰りに病院に寄ってくれたが、1時間ほどで、旦那は母を連れて、一緒に帰って行った。
夕飯も食べれず、暗い部屋に取り残された私は、その日、一気に眠りにつくのであった。
異変を感じた日【妊娠23週3日目】
2018年4月12日(木)
今日は母が遅めの出勤だったため、午前中は自宅にいた。
旦那は先に出勤し、ゆっくりと過ごす。
午後は暇だったので、近くのイオンに行こうと決めていた。
足の痛みも大分落ち着いてきて、少しだけ浮腫んではいたが、歩くのは楽だった。
昼前に「ついでだから」と、母の送り迎えをしてくれている、木内さんの車に乗せてもらい、イオンまで送ってもらった。
大体一周回って、買い物を済ますと、段々と足が痛くなってくる。
そんなに買ったわけじゃなかったけど、荷物が凄く重く感じ、自宅に帰るまでが長かった。
歩いても歩いても前に進まない。
何度も立ち止まって休憩をする。
普通に歩けば15分程の距離が、自宅に着いた頃には30分以上経過していて、その時点で”可笑しいな”と感じていたのだった。
引っ越しの日も同じように、駅まで歩いていた時間が、いつもの倍掛かっていたことを思い出す。
自宅について、すぐにベッドに横になろうとすると、足がまたパンパンに膨れているのに気が付いた。
「ええ、なんで・・・」
足を揉みながらベッドに横になると、そこでまた異変に気付く。
「そういえば最近、引っ越しで忙しくて気付かなかったけど、胎動がないような・・・」
そう思うと少し不安になったが、横になっていたため、また一気に眠りにつくのであった。
18時頃、目が覚めて「水道光熱の支払いの手続きやってないし、また寝ちゃった・・・」と落ち込んでいると、母が帰宅してきた。
母の部屋とリビングは片付いたものの、まだまだ自室にダンボールは山のようにある。
キッチンも食器棚が無かったため、物の置き場に困っていた。
ずっとコンビニ弁当じゃ流石にまずいと思い、その晩は酢豚を作った。
旦那が帰宅して、夜、ベッドで横になっている時に、昼間の事を思い出し、旦那に相談する。
私「なんかね、引っ越しがあったから、あまり意識してなかったんだけど・・・最近胎動感じられなくて・・・。あったとしても小さいような・・・」
旦那「ええ、なんでだろう・・・心配だね・・・」
私「16日は定期健診なんだよね・・・、その時で良いかなぁ・・・?」
旦那「うーん・・・一応明日も電話するんでしょ?言ってみたら?」
私「そうだね、聞いてみるよ」
そうこう話しているうちに、また凄い眠気に襲われ、すぐに眠りにつくのであった。
一日中寝っぱなし【妊娠23週2日目】
2018年4月11日(水)
この日は、母が引っ越し前に買ったベッドと、エアコンの業者が来るとの事で、私は家で待機していた。
旦那と母は今日から仕事で、朝早くから出て行った。
「はぁ~~。これでゆっくり休める~~」
しっかり睡眠はとれているはずだったけど、止まらない睡眠欲。
疲れも全然残っていて、足の痛みもまだある。
かと言え、10時にはベッドが来るし、13時にはエアコン業者が来る。
絶対に寝ちゃダメだ、と思ってソファーに座っていたが、いつの間にか目が閉じているのであった。
10時過ぎ、母からの電話で目が覚めた。
母「あんた家にいるの?業者さんから電話きたわよ!」
あ、やばっ!!
するとすぐに自宅のチャイムが鳴った。
「島忠家具でーす」
すみませんと何度も謝り、中へ入れると、ベッドは15分程で組みあがり、業者さんはすぐに帰って行った。
はぁ・・・。寝ちゃったよ、次13時だから寝ないようにしないと・・・。
そう思ってソファーに座ると、また眠りに落ちていくのだった。
13時過ぎ、今度は旦那からの電話で目が覚めた。
旦那「もうエアコンの業者来てるみたいだけど・・・」
うわぁああ!二回もやってしまった!!
するとまたすぐに自宅のチャイムが鳴る。
結局、1時間ほどして、業者は帰って行った。
「もうこれで私の睡眠の邪魔をするものはいない・・・!」
18時頃、帰宅した母に叩き起こされるまで寝ていた事は言うまでもない。
引っ越し二日目【妊娠23週1日目】
2018年4月10日(火)
8時頃、目が覚めると身体が重い。
足を見てみると、太さは少し落ち着いたように見えたが、歩くとまだ痛みがあった。
ずっと横になっていたい・・・と思っていたが、今日は、母と市役所へ何かと手続きをする予定となっていた。
障害者手帳などの変更だとか、福祉関係も色々。
旦那は、自宅に新しい家具が届く予定だったので待機していた。
母は平日が仕事だけど、この日は有休を使い「市役所へ行くなら今日しかない」という事で、午後にタクシーで向かった。
私はと言うと、もう既に疲れていて、眠気さえ感じていた。
福祉課へ行き、担当のお姉さんの話しを聞く。
どのくらい経ったのだろうか・・・その時の事はあまり覚えていないが、私は物凄い眠気で、意識が朦朧としていた。
何処でも良いから倒れたいくらいで、必死に職員の人の話しを聞く。
・・・でも無理だった。
常に下を向いて目が閉じてしまっていた。
「もうちょっとなんで頑張ってね」と言われて、少し恥ずかしかったが、それでも目が閉じかかってしまう。
母「大丈夫?」
私「もう無理だ・・・」
どんなに眠くとも、人が話しをしている時に寝てしまうのは如何なものか。
夜だってしっかり寝てるはずなのに、なんでこんなに眠いんだ・・・。
椅子に座っているのすら辛い状態。
後々思えば、妊娠しているのに動きすぎだった。
この時、私の身体の中では大変なことが起きていたのだった・・・。
何とか耐え抜き、市役所からタクシーで帰宅する。
自宅に帰ると、旦那が片づけをしていた。
かなりの量のダンボール。
「まずはリビングから片付けよう」と、私と旦那は次々に物を取り出す。
母「ねぇ、これ何?・・・これは?」
母は目が見えないため、誰かが見てあげないと分からない。
その度に私と旦那が何度も答えていた。
でもね、やっぱり旦那に聞くのは嫌みたいで、自分の娘を使いたがるもので、「ちょっと、〇〇ー!!」と大きな声で私を呼んでくる。
母「あんたが私の目になってくれないと分からないじゃない!」
目が見えないって、周りの状況を理解できないから、どうしても自分勝手な発言になってしまうんですよね・・・。
疲れて市役所から帰ってきて、それでも片づけをしているんだから、相当なストレス。
昔から、母はすぐに感情的になる性格で、何かと私には怒っていた。
でも失明してからは「目が見えないんだから仕方ない、何を言っても、あー言えばこー言うになってしまうんだから、私が諦めるのが一番楽。」そう思うようにしていた。
それを見ていてモヤモヤしていたのが旦那だった。
多分、言いたい事はあっただろう。
でも、私は母と旦那の間で、ピリピリした空気になられるのが一番嫌で・・・
だから旦那に「お母さんの部屋から片付けて、うちらのは後にしよう」と言ったのだった。
21時。
「もう無理、足と腰が痛い」
母の部屋は半分以上は片付いてきている。
母は「明日から仕事なんだから、片づけるのは今日しかない」と言って、止めようとはしなかった。
私「もう止めようよ。疲れたよ」
そういうと母は「私は今日しかないの!やる気が出てるのに、何でそんな水差すような事言うの!!」と怒ってきた。
はぁぁ・・・とため息を漏らす。
旦那は何も言えない状態。
一緒に片付けてくれているし、母の押し入れとかにダンボールを入れてくれているのは旦那だし、彼も相当疲れているだろう・・・。
なんていうか、母に対して"諦め"は常にあったが、旦那がいる事でイラつきも覚え始めてきた。
色んな事に対して怒りたくなる。
勿論母に対してもだし、旦那に対しても。
「ふざけんなよ、私が妊娠してる事忘れてるんじゃないか?」
「同じこと何回も聞くし!それだけで疲れるわ!!」
「私がこんな状態なんだから、進んで手伝ってやってよ!」
「疲れなんかあんたらより何倍も感じてるわ!腹がでかいんだよ!くそったれ!」
多分言えば止まらないほど暴言が出てきそうだった。
でも結局口にする事はなく・・・。
その日は23時頃にようやく寝る事が出来たのだった。