大きな生命力を持って生まれた我が子

超低出生体重児、345gの息子とママのブログ

緊急入院【妊娠23週4日目】

2018年4月13日(金)

朝、いつものように起きて、朝食の支度をする。

引っ越しから数日経っているにも関わらず、私の身体は重く、足も浮腫んでいた。

旦那と母も一緒に食事をとっている時、「最近胎動が感じないんだよね・・・全く感じないってわけじゃないんだけど、小さいような・・・」と母に呟くと、「すぐに病院に電話しなさい」と強く言われた。

 

8時15分頃、病院に電話をすると、「心配なのですぐに来れますか?」と言われた。

げっ、昨日疲れててお風呂入ってないや・・・。そう思いながらも、又も木内さんが、車で送ってくれる事になった。(ほぼ強制的にだけど・・・)

9時過ぎくらいだっただろうか、予約も入れてないのに申し訳ないと思いながらも、病院に着くとすぐに検査が始まった。

エコーで見ていると、先生が「大丈夫、赤ちゃんは元気だよ」との事。

何を言われるのか凄く不安だったけど、”赤ちゃんは元気”と言う言葉に、心からホッとしたのだった。

多分、最近忙しくて疲れていた所為か、お腹の事もあまり気にしてられず、ふとした瞬間、ちょっと気になっただけで、神経質になってしまったんだと思った。

 

一安心して、「良かった、家に帰れる」って思ったのもつかの間。

「ちょっと隣の診察室に来てね」と先生に言われて行くと、思いもよらぬ事を告げられたのだった。

 

先生「検査の結果ね、尿タンパクがプラス3になっているんですよね」

私「はい」

 

ん・・・?つまり、どういう事?

 

先生「尿タンパクがプラス3は結構な数値で・・・これは妊娠糖尿病です」

 

(゜∇゜ ;)え?

 

先生「妊娠高血圧症候群と妊娠糖尿病、所謂、妊娠中毒症です。赤ちゃんは元気だけど、母体の方が危険ということになります」

 

一体どういう事か分からなかった。

月曜日で妊娠7ヶ月目に入る。

あと3ヶ月もすれば産まれてくるのに、母体の方が危険・・・?

なんというか・・・私は至って元気ですよ、と言いたいところだけど、言われてみれば、引っ越しの日から、水下痢だったし、浮腫みは酷いし、疲れやすいし、一日中寝てるし・・・。

それでも私が病気だなんて信じられなかった。

体力だって人一倍あると思う。

ラソンだってやってたし、体力的なタフさなら旦那にも負けない自信はある。

 

 先生「この病気を治すには、早く妊娠を終わらす事です」

私「え・・・?」

 

早く終わらすってどういう事・・・と、先生が何を言っているのかわからなかった。

とにかく呆然としている私に、先生は淡々と説明し始めた。

 

先生「早いうちに赤ちゃんを帝王切開で産む事になります」

私「赤ちゃんはどうなるんですか?!」

先生「今の医学なら、24週の赤ちゃんは生きていけますよ」

 

その言葉に多少の不安を感じつつも、"生きていける"と言う言葉にほっとしていた。

でもかなりの小ささじゃないだろうか、障害が残るんじゃないだろうか、・・・とまた一気に色々な不安が頭を過った。

 

先生「兎に角、一日でもお腹の中で育ててあげる事が出来れば、赤ちゃんにとってベストです。だからママと赤ちゃんが、ギリギリ耐えられるところまで待って、早産となります。多分、35週までは耐えられないと思います。それまでは入院と言うことになりますよ」

 

私「はい・・・」

 

大体妊娠って40週くらいまで、ママのお腹の中にいるのが普通。

でも私の場合、まだ23週。

半分くらいしかいないのに、もう出てきたら・・・。

せめて30週くらいまでは耐えてくれ!私の身体!!

 

先生の"35週までは耐えられない"と言う言葉に、意外とまだ時間はあると思い、落ち着く事が出来た。

 

先生「じゃあ外で待っててね」

 

話が終わり、廊下の長椅子に座って待っていると、看護婦さんが来て「これから点滴をするからこっちに来てくれる?」と何故か分娩室に連れていかれて、そこで寝かされた。

大きな部屋の中で、真ん中に分娩台がポツンとある。

そこに寝ると、何人かの看護婦さんがやってきて、何やら機械をセットし始める。

一体何をするのやら・・・。

 

看護婦さん「これから痙攣予防のための薬を入れるんだけど、ちょっと針の所が痛くなったり、顔が熱くなったりするけど、我慢してね」

 

私「あ、はい」

 

多少の痛みくらい我慢できるし、点滴ぐらい大したことないだろう。

 

看護婦さん「ちょっと離れるけど、もし何かあったらナースコールで呼んでね」

 

ナースコールを手渡され、その場を後にする看護婦さん。

10時半頃、点滴開始。

旦那にLINEで、病院に来てもらうように連絡をする。

 

暫くすると顔が火照ってきた。

なんだこれ、結構熱いぞ・・・。

そう思っていると、今度は左腕に激しい痛みがジンジンと襲ってくる。

血管痛ってやつだ。

無意識に呼吸が荒くなり、元々高かった150/95程の血圧が180/110に上がっていた。

これじゃあマラソンやってる時と同じくらいじゃないか。

 

もう嫌だ、本当、痛い・・・

 

左の肩からもげそうな程、左腕全体が痛く、感覚さえなくなってきた。

身体をもぞもぞさせながら、痛みに耐える。

 

旦那からLINEで「13時に会社を出る」と連絡が来たときには「何を悠長な事を言ってるんだ!」と怒り出しそうな気分だった。

まぁ、旦那が来たところで、この痛みは治まらないんだけどね。

正直、こういう時は痛がってる姿を見せて心配されるのも嫌だし、一人で耐えていたいってのが本音。

人間ってのは自分がピンチな時は何かに当たりたくなる生き物なのさε- (´ー`*) フッ

 

点滴を始めてから1時間以上経ち、痛みが一向に治まらない。

「早く終わってくれ・・・」それだけが今の願い。

すると看護婦さんが様子を見にやってくる。

 

看護婦さん「あらやだ!血圧が・・・」

私「ハァハァ・・・こんなに痛いものなんですか・・・?」

 

深呼吸を促されるが、したところで、血圧は160/100くらいまでしか下がらなかった。

 

看護婦さん「もうちょっとだから頑張って!」

私「ハイィ・・・」

 

多分声は引きつっていた。

何度も深呼吸するが、左腕の痛みは絶好調。

感覚がないから、もう"痛い"と考えるのをやめた。

 

12時半頃、看護婦さんがやってきて「薬変えるからね。多分大分落ち着くと思うわ」と言うと、点滴を変えはじめる。

結局2時間耐え続けていた。

頑張ったよ、私の左腕。

やっとこの痛みから解放される・・・と思うや否や、またも左腕に激痛が走る。

 

なんだよ!結局痛いんかい!!

 

流石に疲れて身体がぐったりしてくる。

今度の点滴は、痛みが出たり治まったりする感じ。痛みの強さは最初よりは弱い気がするが、それでも痛い時は強烈な痛さだ。

 

もうそろそろ旦那が会社を出るだろうと思い、必死に痛みに耐えていた。

暇だからスマホでゲームでも・・・と、思えないほどの痛み。

ああ・・・一体どうなってしまうんだろう・・・。

 

 

14時過ぎ、旦那が病院にやってきた。

看護婦さん「〇〇さん、旦那さん見えましたよー」

旦那「〇〇ちゃん?!大丈夫?!」

私「ああ・・・慎くん・・・」

 

後から聞けば、旦那から見た私は、とてもぐったりしていて、一目見て死ぬんじゃないだろうかと思ったらしい。

そりゃ3時間半もこの痛みと戦ってるんだから、ぐったりもしますよ・・・。

 

旦那が来てから何人かのお医者さんが来て、私の様態と、今後の手術の説明を始めた。

私は痛みと疲れで、あまり良く聞けれなかったから、正直覚えていない。

 

結局、点滴が終わったのは午後4時頃。

トイレに行きたいと申し出て、歩いて隣のトイレまで行ったが、帰りは気持ち悪さに襲われ、倒れそうになり、車いすで帰ってきた。

 

隣の部屋なのに、私どうしちゃったんだろう・・・。

 

車いすで帰ると、旦那が驚いた顔で「大丈夫?!」と声をかけてきた。

 

私「なんか、転んじゃった」

 

不安そうにしている旦那に、申し訳なく「大丈夫だよ」と言うが、旦那の顔を見る限り、多分私の顔は大丈夫じゃなかったんだろう。

 

 

その日はそのまま入院となり、集中治療室に入れられることになった。

カーテンは閉じられ、光が入らないようになっており、電気も殆どつけず、私は寝たきり状態。

ベッドの周りには機械を3つ付けられ、完全隔離状態だった。

 

そんな酷い状態なのかなぁ・・・?と、正直この時もまだ疑いは晴れなかった。

なんで私が・・・?と言う精神状態だったんだろう。

病気と言う自覚症状もなかったせいもある。

いきなり点滴打たれて、痛い思いして・・・、もう治ったんじゃない?くらいな気分だ。

 

17時頃、母も仕事の帰りに病院に寄ってくれたが、1時間ほどで、旦那は母を連れて、一緒に帰って行った。

夕飯も食べれず、暗い部屋に取り残された私は、その日、一気に眠りにつくのであった。