大きな生命力を持って生まれた我が子

超低出生体重児、345gの息子とママのブログ

苦労と幸せ

2017年7月。

私は人生で一番の幸せを感じていた。

30歳になり、めでたく結婚式を挙げる事が出来たのだった。

 

20代の私はと言うと、正直、不幸や苦労の連続だった。

19歳の時に母が病気をし、手術の後遺症で失明してしまい、

23歳の時に父が肝臓がんになり、弟は家を出て行き、私の稼ぎで生活をする日々。

「お金がない」という事に疲れ果て、母に当たったこともあった。

27歳の時に父を亡くしてからは、母と二人での生活。

弟は彼女の家で暮らしていたけど、できちゃった婚でそのまま家に帰ってくることはなかった。

 

目の見えない母は元々、性格が前向きで自立心や向上心のある人で、失明してからも、あんまマッサージの資格を取り、この数年、ありがたい事に働いて家計を支えてくれている。

自分の母だけど、本当に強い人だと思う。

家事全般、父が亡くなってから、基本的に私がやってきて、母も出来る事は手伝ってくれていた。

 

そんな私は23歳の時に、お金を稼ごうと必死で働き、甘い言葉で騙されて海外の不動産を購入し、事業を起こして、個人で働くようになっていた。

個人事業と言ったってそう簡単に稼げたわけではなく、プラスの時もあれば、赤字の時もあり、今考えれば、20代の時、私は一体何を頑張っていたんだ…と思えるくらい、無駄な時間を過ごしていたのかもしれない。

20代と言ったら、遊んでるイメージのこの時代で、苦しい思いを何度もしてきて、人に騙され、裏切られの連続だった気がする。

でも時には仲良くしてもらった人もいたし、こんな経験普通じゃ出来ないって事もさせてもらえているので、決して悪い事ばかりではない。

きっと人並み以上に何かを学べてはいるはずだと思っている。

 

「23歳には結婚して子供たくさん作るんだ~」なんて言って、結婚願望の早い私が、30歳になってやっと結婚出来たのだ。

結婚式が終わり、その日の夜は、幸せ過ぎて涙が出た程だった。

 

母と暮らしていた家に、夫となった人が入った。

「これからは3人暮らしだね。もしかしたらすぐに4人になるかもね~」

そんな話しを旦那とする日々。

毎日が幸せで、旦那の事が日を重ねる毎に好きになっていった。

自分の仕事も止め、今後やってくるであろう幸福を待ちつつ、主婦業に努めようとしていた。