妊娠中の引っ越し【妊娠23週0日】
2018年4月9日(月)
ついに引っ越し当日。
天気は良好。寒くもなく、暑くもなく。
私の母は「多分居ても何も出来ないから」と言う理由で仕事に行き、旦那は有休を取って、朝から引っ越し先への手続きをしに向かっていた。
引っ越し業者が来るのは13時~15時の間。
私は午前中、残りの荷物をダンボールにまとめていた。
身体が重いせいで、きびきび動く事は出来なかったけど、時間はあったので、のんびり片づけをしていたのだった。
13時半頃、あ〇さんマークの引っ越し業者がやってきて、すぐに荷物を運び出していく。
かなりの量で、ダンボール70箱以上はあったのに、次々と運び出されていくのを見て、「流石業者だな~、早いな」と感心していた。
ダンボールが運び終わると、業者の人が「あれ、もしかして冷蔵庫に何か入っていますか?」と聞いてきた。
私はてっきり、保冷ボックスみたいなものを持ってきてくれて、入れてくれるものかと思っていたが「ダンボールに詰めてください」と言ってきたので、急いでダンボールに詰め込んでいた。
焦りながら、ダンボールを作り、中へ適当に放り込んでいく。
食材は殆どなくなっていたけど、妊婦にとっては重労働だ。
腰も痛くなり、息切れのような感じにもなっていた。
業者はそんな私には気にも留めず、急いで荷物を運んでいく。
正直、気遣って手伝ってほしいくらいだった・・・。
ようやく詰め終わったかと思えば、隣にあった台の引き出しに物が入っているのに気づく。
「ああーー勘弁してくれーーー!」
幸いな事に、少なかったし、割れ物とかではなかったので、すぐに片付いたが、終わった頃には疲労がかなり溜まっていた。
家具が運ばれていくと、残ったものはゴミや埃。
人が出入りしているため、それらが空中に舞い上がり、とても良い環境ではない。
マスクも持っていない中で、その部屋をほうきや掃除機で掃除をしていた。
とても妊婦のやる事ではない。
でも私しかやる人がいなかったので、きついけど我慢してやっていた。
最後の方では、もう腰も立たなくなり、地べたに座りながら掃除をする始末。
旦那に助けを呼んだところで、遠いし無理がある。
そうこうしている内に、マンションの管理会社の人が来て、休む暇もなしに引き渡しが始まった。
終わったのは夕方の4時半。
自宅の鍵を渡して、玄関で靴を履き、最後に家の中を見て「お世話になりました。」と一礼をして出て行った。
夕日で埃が良く見えていたのを覚えている。
ひと段落し、病院に血圧と血糖値の報告をして、ゆっくり行こうと、駅まで歩きだす。
駅まで徒歩15分。・・・なのに駅に着いたのは5時半だった。
歩くのがしんどい。
とにかく休みたい。
座るだけでもいいから・・・。
駅前のカフェで一休みしてから行こうと思って、入った瞬間、母親から電話。
「あんた今どこにいるの?」
「まだ〇〇駅(地元)だよ」
「なんでまだそんな所にいるのよ!」
なんでって・・・歩くのがしんどいんだよ・・・。
すぐ感情的になる母親の言葉は、さらに私を疲れさせていった。
「早く来なさい、最寄り駅まで来たら、木内さん(母と同じ会社の人)が車で迎えに行ってくれるから」
と、急かされ電車に乗り込む。
座れたのが幸いだった。
ふと、自分の脹脛をよく見ると、象のようにパンパンに腫れあがっているのに気づく。
「ええ?何これ・・・、太ももくらいある・・・」
指で押してみると、押して凹んだ箇所が戻らず、かなり浮腫んでいることが分かった。
怖いくらい膨らんでいる足に、自分の身体に異変が起きていることに気づいていた。
足も痛いし、靴がきつい。
靴ひもを緩めると、すぐに引っ越し先の最寄り駅へと到着した。
駅で待っていてくれた木内さんの車に乗り込み、そこから10分程でマンションに到着した。
既に外は暗い。
自宅のある14階へ上がると、丁度引っ越し業者が作業を終えて、会計をしているところだった。
19時。
「終わったー!!」と、ソファーに座りながら、足を揉み解す。
「この足やばくない?太ももくらいあるよ」と旦那に脹脛を見せた。
旦那「うわぁ・・・大丈夫か・・・」と、旦那が足を触ってきたが、少し感覚がなかった。
母も仕事帰りだったし、3人とも疲れていたのは分かっていた。
でも、私はここまで酷い疲れを感じたことはなかった。
足が棒というより、もう感覚がない。
次の日は、二人とも有休を入れていたので、「片づけは明日にしよう」と言って
荷物を適当に端に避け、早めに寝たのであった。
転院先での検査入院【妊娠22週0日】
引っ越しをする事になった私は、病院も転院することになった。
初めてのところはちょっと不安だったけど、病院に予約の電話をした時の丁寧な対応に、少し好感を持てていたのだった。
血圧は毎日つけてはいたけど、あまり気に留めてなく、言おうか迷っていた。
でも念のため電話で「前の病院では血圧が少し高いといわれました」と、正直に伝えておいた。
すると「再度掛け直します」と言われて、電話を待つことに。
1時間ほどして病院から電話が来ると、「念のために検査入院をしたいと思うので、2泊3日だけ来てください」と言われた。
そんな別に、大事でもないと思うけど・・・と、ちょっと焦りながらも、言われるがまま、引っ越し前に予約を入れたのだった。
引っ越しは4月9日(月)。
検査入院は4月2日~4日で受ける事になった。
正直、旦那と母を二人きりにさせるのは不安だが、まぁ、二泊三日なんてすぐ終わるだろうと思って深くは考えなかった。
それよりも引っ越しの準備の方が大変で、引っ越し前の土日は、私の弟夫婦が、手伝いに来てくれる事になっていた。
2018年4月2日(月)。
6時半に家を出て、転院先へ向かう。
駅から歩いて15分くらいと書いてあったが、私の足で30分はかかった。
元々、マラソンとかジム行ったりしてたから、体力には自信があったけど、その日は何故か体が重く、時間も倍掛かってしまった。
「なんかおかしいな・・・」
と、体調不良を感じながら、やっとついた病院。
すぐに入院となって一休み。
その日は一日中検査をして、早めに就寝。
翌朝も朝5時から検査があった。
3日。午前中は暇だったのでスマホを見ていると、看護婦さんがやって来て、どうも血糖の数値が高いからもう一日入院を伸ばすとの事・・・。
「困ったなぁ・・・」
旦那と母の食事の準備は3日分だけしかしていない。
服だって荷物になるのが嫌だから、着まわそうと思っていたし、それに4日も入院して、これだけ検査して・・・一体いくら請求されるんだ・・・。
血糖値が高いのは、実は前日にキャンディーを食べました。・・・とも言えず。
まぁ指定の時間外で食べたものだけど・・・。
だからこの時も、自分がなんかの病気だなんて思ってもなかったんだよね・・・。
それから先生がやって来て、詳しい説明を聞いて初めて自分の置かれてる状況が分かった。
妊娠糖尿病
まさか二つも重なって病気になるなんて。
どちらも妊娠が切っ掛けでなってしまう病気。
まだ初期の段階らしいけど・・・。
それからは、日に4回の血糖値の測定、3回の血圧の測定、毎日の病院への電話を義務付けられ、飲み薬とインスリン(注射)を処方され、不安な日々を送るのであった。
エコーではっきりと見える我が子
2018年3月8日(木)
毎月の診察が楽しみで仕方がない。
まだまだ寒く、雪も降ったりして、あまり外出しないようにしていたので、外に出るのは気分転換になった。
毎月の診察で、エコーで見える赤ちゃんはそんなにはっきりと映らず、どこが頭なの?と言う感じだった。
2月に入ってからはなんとなく人間っぽく見えるかな~?って感じだったけど・・・。
そんな事よりも年明け辺りから、ずっと胸がパンパンに張ってきて、熱を持ち、乳輪周りがとっても痒い。
ポリポリ掻くけど、そのうち赤くなって痛みも出てきてしまっていた。
皮まで剥がれてきたことで怖くなり、先生に相談すると「どうにも出来ないから、とりあえず保冷剤とかで冷やして」との事で、胸に保冷剤を入れていた。
元々バストは大きい方で、更に大きくなっていくのを見て困り果てる。
体重ももう6㎏も増えてしまった。
外出は殆どしなかったので、服も最低限で済ませて、どうせ産んだら痩せるだろうと思っていた。
先生からも、特に注意されていなかったので、増えていく体重に危機感を感じていたものの、特別生活を変えたりはしていなかった。
無言で診察を始めて、「少し小さいね~。はい」っと渡されたエコー写真は、凄くきれいに我が子を映し出していた。
目も見えるし、手足も、へその緒まで見える。
「わぁ・・・人の形してる!」
我が子がとても可愛く見えたのはこの時だった。
先生「ちょっと血圧高いから、毎日測るようにね。受付で血圧手帳渡すから」
「あ、はい」
なんというか、要件のみって感じで・・・。
でも確かに、血圧は毎回高い気がする。
妊娠する前の健康診断とかでは言われたことなかったけど・・・。
そしてその日の晩から、自宅で毎日血圧を測ることになったのであった。
専門的な事は専門家へ
2018年2月25日(日)
不動産屋さんに連絡を取り、私と母と旦那の3人で、物件を見に行く事にした。
元々、出産が終わってから購入しようと決めていたのに、あれから火が付いたように動き出していたのだった。
不動産屋さんからそこの物件まで、車で結構時間が掛かり、妊娠中の私には酷く堪えた。
妊娠してからと言うもの、乗り物酔いが激しくなった。
電車やバスでも気持ち悪くなる。
動悸が激しくなり、乗せてくれていた担当の人も、心配してくれて「窓開けましょうか?」と言ってくれた。
「2月のこんな寒い時に、すみません・・・」
本当に申し訳なく思ったけど、車の中で吐かれるよりはマシだっただろうな・・・(笑)
やっとの思いで辿り着いた物件。
中古マンションの集合住宅。
中古と言ってもまだ出来て新しい。
外観からとても綺麗で、庭は整備されているし、緑も多く、子供も多い。
大きな噴水が二つもあって、夏はここで子供たちが遊んでますよ~と言わんばかりだ。
「凄い大きくて綺麗だね~」
私は、今まであった吐き気もなくなり、一気にテンションが上がった。
実際に売り出されている物件に案内され、中に入ると驚いた。
とても広い4LDK。
リフォーム中だった為に、多少機材などは置いてあったが、壁紙も張り替えられ、それなりに綺麗になっていた。
何より一番はバルコニーからの景色だ。
ここは14階。遮るものもなく、天気が良かったため、日当たりもよく、遠くに海も見えた。
「ほら、スカイツリー見えるよ!」
私の気分は絶好調。今までの動悸は何だったのか・・・。
妊娠中は、体調的にも精神的にも、浮き沈みが激しいというけど、まさにそうだと思った。
色々と部屋を見回って、母も「此処なら今よりも広い自室が持てるわね!」と喜んでいた。
旦那がその担当者の人に「このくらいの物件で都内ってないですよね」と聞くと、
「まずないですね。金額は倍以上するだろうし、そもそも今都内に4LDK自体が少ないんですよ。此処ももう3組の方が内見に来られていて、3組ともリフォームが終わったらまた見に来たいって言われているので」
「そうだよな・・・って事は時間の問題か・・・」
旦那は真剣に考えていた。
問題の母はと言うと、部屋の広さにテンションが上がりっぱなしで、ずっと笑顔のままだった。
正直、私は何処でもよかった。地方でも、近場にスーパーとコンビニ、幼稚園、小学校くらいがあれば。
旦那の職場が通える距離で、身体に無理のない事だけが心配だった。
だってこれからローンを返していくのは旦那になってしまうわけだし、正直、母よりも重視したいところだし。
とは言え今の母はとてもウキウキして楽しそうだから、今がチャンスなんじゃ・・・と言うくらいのタイミング。
うちの母は後々になってうるさくなる方だし、ここで購入を諦めたらまた同じ繰り返しが起こる・・・。物件自体悪くないし、パッと決めてしまうのも一つの手。
「まぁ正直、デメリットが無いわけじゃないけど・・・住めば都だ!!」
そう言うと、何となく購入するという方向で話しが進んでいくのだった。
妊娠5ヶ月目でマイホームの購入
2018年2月18日(日)
妊娠5ヶ月が経った。
ちょっぴりお腹が大きくなってきた。
自宅警備員の日々が続く・・・。
今年に入ってから、私の母が「家を買った方が良い」と何度も急かしてきていた。
うちは都内の賃貸マンションだった為に、確かに勿体ないとは思っていたけど、頭金や引っ越し費用、何よりこれから出産が控えていると言うこともあり、「とりあえずマイホームの購入は出産が終わってから」と旦那と話し合っていた。
しかし、うちの母の知り合いから「都内の土地を格安の2000万で売るよ!」と言われ、この日、3人でその土地を見に行ったのだった。
確かに安い。
駅から徒歩6~8分程。都内の人気エリアだ。
そこから見える位置に小学校もあるし、ヨーカドーやスーパー、商店街もある。
だが日当たりが悪い、完全に当たらない。
3階くらいまで建てれば何とか当たるかもしれないが・・・。
それに敷地が思っていたより狭い。
平均的にそこの土地で、2600万くらいはするであろう土地を、友達価格の2000万で売ってくれるというのは本当にありがたいが、今後一生をそこで生活していくと考えたら・・・。
旦那と顔を見合わせると、”ここは無いな・・・”という雰囲気が伝わってきた。
問題なのは私の母親だった。
どうしても都内が良いらしい。
地方に行くと全く土地勘がないので、目が見えていた時で、地域が分かる場所や、職場に近い所が良いと制限していたのだった。
私たちが希望していた物件は4LDK。
頭金やローンの事を考えると、出せても4000万くらいが限界だった。
都内で4LDKとなると、中古で安くても5000万以上は確実だ。
その後、何度も母が「都内、若しくは都内の隣(県でも東京にすぐ行ける距離)で」とずっと拘っていたので、ネットで色々と物件を探す日々が続いた。
だけど、どうしたってそんなお宝物件はあるはずがない。
あったとしても、きっと事故物件だろう。
どれだけ無い事を伝えても、母は納得いかず・・・。
痺れを切らした旦那に言ってもらうことにした。
旦那「どこか妥協しない事には、ずっと買うことはできませんよ。僕だってそんな高いローン組めませんし・・・。」
母「そうだよね・・・」
こんなやりとりの中、私が口を挟む。
ネットで見ていて、良さそうな物件があったのだ。
たいママ「ここなんかどうかな?ちょっと都内からは外れるけど、行けなくはないし、妥協できる場所だと思うよ」
どれどれ・・・とネットの情報を頼りに、あれやこれやと言う前に、行動が一番!という私の意見で、次の日曜日に物件の内見をしに行く事にしたのだった。
初めての胎動
2017年11月29日(水)
一刻も早く妊娠をしているとお医者さんに言われたくて、近くの産婦人科に行ってみる。
私の母もその病院で産んでいて、信頼できる、結構有名な病院だった。
12月に、私の弟のお嫁さんも、その病院での出産を控えていた。
待ち時間はかなり長い。9時について、終わったのが13時。
まぁ都内だし仕方ないけど、毎回こんな感じなんだろうか・・・。
結果は、早すぎてはっきりと「妊娠です、おめでとう!」とは言われず・・・。
「また来週も来てね」と言われてちょっとがっかり。
でも妊娠してることは間違いないなさそうだったので、少しばかり浮かれていた。
2017年12月28日(木)
昨日は私の誕生日で、31歳になった。
30歳で妊娠して、31歳で産むのか。
子供は3人くらい欲しいと思ってたけど、年齢的に早く産まないと厳しいなぁ・・・。
そんな風に思いながら、母子手帳を貰いに区役所へ行った。
初めての母子手帳の交付。
職員さんに「おめでとうございます」と言われて、嬉しさを覚えながらルンルンな気分で帰宅。
貰ったパンフレットや書類をじっくりと読む。
出産はまだまだ先だけど、早くその時が来ないかな~と何度も思った。
年末年始。旦那は実家に帰省し、私は母とお腹の赤ちゃんとゆっくり過ごす事になった。
2018年2月1日(木)。
13週3日(4ヶ月)。
段々と身体がだるくなってくる。
お腹が重い。
まだ4ヶ月なのに、ぽっこりとお腹が出てきているのが分かった。
太ったのか、それとも赤ちゃんが大きくなっているのか・・・。
病院で体重を図ると毎回1.5㎏ずつ体重が増えている。
こんなんで良いのかな・・・?と少々不安はあったが、先生からは何も言われないし、食べつわりが酷く、常に何か口に入れていないと気持ち悪くなっていたので、あまり考えないようにしていた。
私の母親も私を産んだ時、17㎏太ったって言ってたし、そんなもんかな~
と、安易な考えで毎日を過ごしていた。
夜、ベッドの上で横になっていると、お腹の中でゴロンと鈍い感覚を体験した。
「何だ今の・・・」
腸が動いたわけじゃないし、おへその下の方・・・なんか異物感が・・・。
後で思ったけど、これが初めての胎動だったのかもしれない。
早くても、胎動は17週くらいからと言われていたので、早くに胎動を感じられたのにはとても驚いた。
その日から、何度も胎動らしき感覚を感じ、先生にその事を言うと「胎動はまだなんだけどね~」と鼻で笑われ、ちょっとムカッとしたのを覚えている。
正直、前々から思っていたが、ここの病院の先生や看護婦さんは、上から目線なしゃべり方の人が多く、説明するのも声が小さく聞こえにくいし、何だか嫌な気分になることが多かった。
でも、これが私の赤ちゃんなんだって思えて、勝手に幸せな気分を味わっていたのだった。
妊娠検査薬を使ってみたら・・・
2017年11月24日。
朝、目が覚め、妊娠検査薬を使う。
毎月陰性が続いていたため、焦りと不安があった。
今年になって、身内で2人も妊娠したとの報告を受けていた。
専業主婦になって数か月が経ち、働いた方が良いんじゃないだろうか、こんなに暇で幸せでいいのだろうか、何もせずにぐうたらしてるような気がしてならない、旦那や母に悪いな・・・まだ妊娠しない・・・もしかしたら妊娠しにくい体質なのか?私の方に問題があるんじゃないだろうか・・・。
色んな事を考えながら、検査薬を洗面台に置く。
すぐに朝食を作りに行き、10分ほどしてから結果を見に戻る。
覗き込むようにじっと見るとうっすら陽性反応が出ていた。
一瞬時が止まった。
できた・・・。妊娠した・・・!!
一気にテンションが上がり、興奮は隠せず、まだ寝ている旦那に報告しに行く。
「慎くん、慎くん(旦那)・・・!・・・妊娠した・・・!」
ベッドから飛び起きる旦那。
すぐに検査薬を見せると、本当に今起きたのか?と思わせるほどテンションが高く、とても喜んでくれていた。
でもまだうっすらしか反応が出てないし、早く病院に行きすぎると結果がしっかり出せないみたいだし・・・と、もやもやした気持ちで、暫くしてからもう一度検査をすることにしたのだった。
2017年11月28日(火)
たった4日しか経っていないのに、待ちきれずに勝手に一人で検査をしてみる。
どう見ても妊娠している。
24日よりも色が濃くなっているのを見て確信した。
唯々嬉しい。そして幸せだ。
結婚してから5か月。
やっと来てくれた幸福を、しっかりと守っていきたい・・・。
「私、ママになれるんだ。これから、身体を大事にしないと!」
わくわくする感じと、どうしたら良いか分からないもどかしさの中、ゆっくりとした日々を過ごしていくのであった。